竜馬通り
京阪電車の中書島駅から徒歩5分ぐらいで「竜馬通り」という古い建物が並ぶ商店街に到達する。
ほぼ朝早くにしか通ったことがないので賑やかさはわからない。
「チケット販売中」のポスター横に新選組の近藤勇の写真や。
「アルバイトさん急募!」のポスター横に新選組の生き残りの斎藤一なんかの写真がある。
幕末、尊王攘夷などを掲げるややこしい奴は、即座に斬り殺されてしまう、かなり物騒なところだったんじゃないか。
寺田屋
坂本はんや薩長の勤王の志士が集会を開いていて新選組に襲撃された復刻版寺田屋もすぐ近くにある。
寺田屋の表札はなぜか「坂本龍馬」になっている。
龍馬の本名というか諱(イミナ)は直柔(なおなり)龍馬は字(アザナ)。
明治以前の生前はイミナでは呼ばれなかったらしい。
会津藩駐屯地跡
竜馬通りの目と鼻の先には、幕府側の命を受けた会津藩の駐屯地跡がある。
「龍馬を斬った男」会津藩見廻り組の今井信郎(いまいのぶお)なんかもすぐ近くにいたのだ。
紀州勝海舟寓居跡
紀州にも坂本龍馬がいた記録が残っている。
南海の和歌山市駅より南に200メートルほど行くと「勝海舟寓居跡」というのが残っている。
文久3年(1863)4月3日、当時幕府の軍艦奉行であった勝海舟は、海岸砲台検分のために家臣とともに和歌山に派遣されている。
その宿所としたのが両替商清水平右衛門邸だが、実際にあった位置は少し違うらしい。
4月10日に海軍操練所に所属していた坂本龍馬が紀州を訪れたと記録にある。