ダイナマイト・キッド死去

80年代にすごく好きだったプロレスラーのダイナマイト・キッドが2018年12月5日に死去していたことを知ったのは12月の22日、たまたま本棚にあった5年前のダイナマイト・キッドのインタビュー記事が載った雑誌を、退屈そうにしていたプロレス好きの人に手渡したときであった。
「ダイナマイト・キッドは死んだとネットに載ってあったで。」
知らなかった、特にネットでは情報を見ていない、ヤフーニュースも見ない、大スポ(関西では大スポ、関東では東スポ、東海地方では中スポ、九州では九スポ)も今は見ていない。
こういう情報のみをFacebookのMessengerのみで知らせてくれる知り合いも、知っていたのか、当然有名すぎるので知っているだろうと、連絡が来なかったのかは定かでないのだが。
(このためにだけと、志塾Facebookの写真を頂戴するのが必要なので、パソコンのみにFacebookはインストールしてあるが、通知がうるさいのでスマホには入っていない)
今年も大ファンの有名人が数多くお亡くなりなった。
合掌です。

ダイナマイト・キッド

日本では「爆弾小僧」の異名をとったダイナマイト・キッド、「爆弾小僧」のネーミングは当時のテレビ朝日の新日本プロレスの実況をしていた古舘伊知郎氏が名付けたのかは定かではないが、爆弾そのものであった。

1958年12月5日、英国ランカシャー州ゴルボーン生まれ。
13歳からレスリングを始め、1975年にプロレスラーになる。
日本には、1979年に国際プロレスに初来日、当時の国際プロレスで売出し中のジュニアヘビー級の阿修羅原のライバルとしていたように思えるが、長髪であったキッドの記憶はあまり定かではない。

その後新日本プロレスに来日し、藤波辰爾のジュニア時代のライバルとして日本のプロレスファンに印象を残した。

しかし決定的にすごくなったのは、1981年の初代タイガーマスク(佐山サトル)のデビュー戦の相手を務め、その後もタイトルを争っての攻防が続いた。
一番強烈に頭の中に残っている試合は、日にちと場所は調べないとわからないが、
初代タイガーのリング内のクッションのない下に鉄骨があるマットに、しかも変形のパイルドライバーをくらって、場外でビール瓶のような瓶をコーナーポストで割って、あわやこれはどうなる?という試合である。

1984年には全日本プロレスに移籍して、従兄弟のデイビーボーイ・スミスとブリティッシュ・ブルドッグスを結成して来日したキッドの身体はヘビー級に変貌していた。
この当時はプロレスラーに限らず、アマ、プロともにドーピングなんかの規制は甘かったために、誰もがステロイドを使用することが黙認されていた時代であった。
特にプロレスラーは急激に身体が筋肉質になり、それが元で亡くなったものも大勢いた。
キッドは身体がヘビー級になったのにもかかわらず、コーナーポスト最上段からのダイビングヘッドバッドなどで、頚椎を損傷、最終的には頚椎を固定するためのボルトを何本も入れていたらしい。

プロレスブームに変わり、K-1や総合格闘技が主流となり、それも最盛期に陰りが見え始めた5年前に、プロレス雑誌「G spirits 28」で「ダイナマイト・キッド爆弾小僧よ、永延なれ」を読んだ。
キッドの生涯最後のインタビューが掲載されていたからだ。
54歳のキッドは今や引退をして、西洋人らしくそれなりの老けた顔の写真を見た。
あれだけパワーが炸裂していた全盛期の人物ではなかった。
車椅子生活だとも記載されていた。

それから5年、60歳で逝ってしまったダイナマイトキッドに合掌。

投稿者プロフィール

takahiro arikita
takahiro arikita志塾の広報宣伝部長
志塾とは関係のない内容が多いブログだが誰が見ているんだろうな?
https://www.facebook.com/takahiro.arikita

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