確かな検査を追い求めて3千里
確かな検査を求めてコッソリ検査を練習していくと段々と「あ、これや」とわかる様になってきます。検査の末に見つかる「お前やろ」と言いたくなる関節。どう見てもこの骨、この関節が原因やろと。
「俺の橋爪テクニックが火を噴くぜ!」
とドヤ顔でアジャストするものの、何故か「その一本」が動かない。他のどうでもいい関節が景気よく「パキポキ」と鳴ってくれる。
「なんでやーーーーー!」
患者さん:「先生!綺麗に鳴りましたね!気持ち良いです!」
私:「え?ああ、そう?そうでしょ?実はそうなのよ。」
何がそうやねんと思いつつ、かといって「いやー失敗しました。上の骨狙ってたんですけど」なんて口が裂けても言えない。
後は検査だけなんだ!なんて思っていた自分に特大ブーメランが突き刺さる瞬間です。
「スンマセンでしたーーーーーーーーーー!!!!」
検査で明らかな問題箇所を見つけてからの~、その一本が動かせない。そのご近所さんは良く動いてくれる。これは本当にストレスです。
目の前に答えがあるのに、指をくわえて見ているだけ。というか手を伸ばしているのにカスリもしない。
何回かに1回、スパコーンと綺麗に圧が伝わる時がありますが、そんな只のラッキーパンチが更にストレスになります。「わし、これがしたいんや!」と何度嘆いたことか。自分がやった偶然であっても、自分がした気が全くしない。
これでは矯正の度に運命のガラポン回している様なものだ。正にガラポン矯正!
隅っこで矯正の練習を再び始める
- ある程度の矯正ができる様になった
- そこで、より精密な検査が必要だとわかった
- 志塾の隅っこで検査をやり直した
- 検査ができる様になった ※ホンマか?
- 検査で明らかになった「その1本」が動かせない
- 矯正の精度が足りないと知った
- 志塾の隅っこで矯正をやり直した ← 今ここ
矯正を学んですぐに気付くと思いますが、「パキポキ鳴らすのは簡単」です。強くしたらいいだけです。でも、それは求めているモノとは全然違う訳で。
求めているのは「最小限の力で対象となる関節だけを開く矯正」です。
そして、その道が遠く険しい・・・・
最近、TVでは「○○沼」なる番組がありますが、これは正に「志塾沼」と言っていいだろう。
画像引用:http://ur2.link/Nptn